猫あしの楽匠

 譜面上を踊るオタマジャクシはいつ見ても美味そうだ。右の前足で音を爪弾く一方で、左の前足は思わず、インクで滲んだ点を爪先で掻き、気紛れに摘まもうとする。
するとどうだろう。まだ湿りを残していたインクが疎らに伸び、新しい旋律を生んだではないか。ああ、これはいい、きっと良い音色になるだろう、そういう手応えがする。思うままに伸ばした線が次の点に繋がり、想像の連鎖が創造を生む。これだから創るのはやめられない。
 音楽というのは本当に自由で、其処ら中で私達の“生”を彩っている。例えばこの公園だけでも、風は木陰の枝葉を切り柵の間を吹き抜けるし、水場から雫が落ちる衝撃は長い波紋が残響を、雨は一つ一つの余韻が重なる心地よい調和を、小鳥は囀るだけでなく、餌を食むステップや蹴った砂の散る不協和と、挙げれば全くキリがない。
 ただ、どれもこれも音楽を自由足らしめる単なる点であって、それぞれが次へ紡ぐ役割を強いられた線であり、つまるところ音楽とは概念を与えられた不自由なモノの連鎖、集合体である。
 そして唯一、有限を無限に含むことで真の自由を得た音楽という概念と同じく、存在を優雅に謳歌できる者がいる。

「ねぇね、あそこ見て。ベンチの下、猫よ」

そう我々だ。今しがた私を指差してきたあの雌のヒトを筆頭に、ヒトは我々を猫と呼ぶ。

「あれが例のアラン君か。うん間違いない、ツイッターの画像と同じだ」

 言いつつ恐る恐る近づいてくる雄のヒトに、私は胸板を見せつけて出迎えた。

「凄い、本当に猫が楽譜を見張ってる。ここにいるのは君だけかな、ご主人様は」

 伸ばされた手の指が封筒に触れようとしたので、私は身を横にしてこれを遮った。

「待って。楽譜を手に取るより先に報酬を置かないと、アラン君が楽譜を持って帰るそうなんだ」

 そのとおり。この世のなによりも不自由であるヒトが自由を得るためには、相応に“その性(さが)”を捧げるが自然の掟。かもすれば音と同列に自由の概念である我々から旋律を賜ると言うからには、カネに代えられぬ“カルマ”を要するのは道理も道理。

「アラン君、これをご主人に」

 彼はそう言うと、懐から皮の袋を取り出し、ガマ口から眩い銀の鎖を胸元に引いた。チャリシャリと絡み合った鎖の先から、蒼い硝子細工が顕れる。ほう、これはなかなか、聞いていたより美しいブローチではないか。
 雲の切れ間から射す鈍色の光線が細工の中で乱反射し、まるで万華鏡の景色が核に向かって集約されては表面に刻まれた模様に反映され、さながら文字が光っている様は、きっと綿密な計算と狂気に近い拘りが顕現させた、正に不自由の宝である。

「これは、僕が丹精を込めたものです。硝子を削る時、キンともぐにゃりとも言えない、柔らかい無機物と無機物が無理やりぶつかり抉りあう音がします。僕はその摩擦の熱さに惹かれ硝子細工を始めました。モノが削れ合う摩擦と、それらが織りなす無限の可能性に自分の生き甲斐を感じるのです」

 ふむふむ、なるほど、なるほど。“キンともぐにゃりとも言えない無機物が抉りあう音”とは、それは滅多に聴けるものではない。そしてそれが、まさにこの中へ閉じ込められているのか。

「あのぉ、それってアラン君に言っても伝わるのかな。それに“詩”は、条件にあったとおり手紙に書いてあるんでしょ?」

「え? ああ、もちろん。でも、なぜだかアラン君にも言葉で伝えたくなって。ほら、聞いてくれているみたいだし」

 私は再び胸を張ることで肯定を答えて見せた。
 そうとも、これはとても大切なことなのだ。創造物というのは音に限らず、出来が素晴らしいほど感嘆を覚える一方で、その“真価”はというと凡そ尋常の範疇では測れない。ので、それがどういう想いで創られ姿を顕したのか、このように事細かく確かめる必要がある。
 そしてそれは、私に新たな見聞をもたらし、次の無限を生む有限となる。

「アラン君。これにはさっき言ったように無数の摩擦が込められていて、眺めているだけで打ちつける硝子と銀の響きを思い出せるようにと模様をしたためました。君のご主人が作った、まるで自然を楽譜へそのまま映したような素晴らしい旋律を必要とする友人に代わり、僕がこれをお渡しして交換とさせていただきます」

 彼は最後に装飾品を手に包み込むと、碧い煌めきを皮の袋へ再び隠し、私の袂へ置いた。

「それ、そこに置いて大丈夫かな。誰かに盗まれたり―――わぁ、賢い」

 私が革袋を咥えまわし、紐を首輪の金具へ引っ掛けているところを見て、彼女は驚嘆の表情をしていた。

「さすが、あの人の愛猫なだけある。ははは、もしかして君が“かの自然の調律師と言われる作曲家その人”自身だったりしてね」

 彼が発した一言につい腰がピクリと浮いたが、大袈裟に寝転んで毛づくろいの仕草をし、誤魔化した。

「わぁ、かぅわいい。ねぇアラン君、撫でていい? ちょっとだけ、ちょっとだけだから、いいよね? ご主人も怒らないよね」

はっははは、これで騙されないヒトはいない。特に雌のヒトには効き目が良い、少し寝転ぶだけでちょうど凝っていた寝首の辺りをこうして揉みほぐしてくれるのだ、これほど自由で優雅なことがあるだろうか。

「こらこら、程々にしないと。アラン君はこれから、きっとあの人の迎えを待つか、あの人へ報酬を届けてくれるんだ。忙しいに違いない」

 はっ。そうとも、彼が言ったように私は忙しい。一刻も早く家へ戻り、袂に下がる素晴らしい装飾品から鳴る“キンやぐにゃり”を旋律に乗せたいのだ。新しい音を奏でたいのだ。私は彼女の手首に鼻を付けて別れの挨拶とし、足元に置いていた創りかけの数枚の楽譜を咥え、公園をあとにすべく一旦はベンチの下へ戻った。
 少なくともこのヒトたちが公園を去るのを見届けるまでは敷地を出られない。後を追われたら面倒だからだ。

「あっ、ありがとうねアラン君、今度は抱っこさせてね!」

 尻尾を左足の横に隠し、今度こそ別れの合図とした。

「ふっふふ……はぁ。それにしても、今日日の覆面作家さんは大変だね。作ったものも報酬も、郵便やデータじゃなくて手渡しで。しかも飼い猫で」

「あッはは。確かに、凄い徹底ぶりだ。とはいえ、覆面作家の中でもここまでするのは“あの人”だけだよ」

「へぇ、アラン君がよっぽど賢い子なのかなぁ? いやだからってさすがに自分の飼い猫を頼るなんて……ツイッターで声をかけたときは普通の人だと思ってたけど、やっぱり表現者の人ってどこか浮世離れしてるのかな~」

「それ、僕のことも言ってない?」

「あ、分かったぁ? ……ふふ、行こ。きっと今頃、院長先生もソワソワして待ってるよ」

「あっはは、そうだね……孤児院でずっと流しておきたいオリジナルの曲、か。“あの人”の作風に惚れて声をかけたのも院長で、お金以外の報酬が必要だからってアトリエまで来て泣きつかれたときは、一体なにがあったのかと思ったよ」

「にっしし。いいじゃん、私がその曲を弾いて収録してさ、二人で恩返しできたーってことで」

「あぁ……うん、そうだね。やっと恩返し、いや、親孝行ができた、かな?」

 ……彼と彼女は、他愛もない話をする要領でそう告げ合いながら、どちらからともなく公園を後にした。
 さて、私も早々にここを経つとするか―――……ん。

 ―――……恩返し……親孝行…………孤児院。

 立ち話を聞くに、雄のヒトはそこから独り立ち、立派に己のアトリエを持って、この素晴らしいブローチを若くして削り上げた狂気の鬼才となった。そして、私の創った曲を弾こうと言い放った雌のヒトの余裕振り、知らないはずはない、我ながら私の音楽はそんなに容易く再現できるものではない、点と点と結ぶ線の弾き方には相性以上の絶対的な壁がある。類は友を呼ぶという言葉があるが、彼女もまた奏者の鬼才だったとしたら。
 そしてその二人を送り出した孤児院が、今回の依頼人だったのだとしたら……気になるぞ。
 気になる、気になる、そんなもの、“人の性、カルマ”の塊ではないか! なんということだ!
 ならば行かねばならぬ、直ちに、確かめねばならぬ! 私の、次の音楽のために!

「―――……ナァァァア―――オォォォォ……――――――」

 私は怒りの声にも似た雄叫びを空へ投げかけ、楽譜と革袋を背中に乗せ、公園の出口を睨みつけながら威風堂々と歩み出した。聞こえる、聞こえるぞ、追い風のメロディと、私を次の自由に導くパレードの喧騒が! ……と、目を瞑って後ろ脚を伸ばしたところで、“ポーター”の迎えが来た。
 クァ、カー、カー、と鳴きつつ、黒い羽根を二つほど落としながら、私の前で平服する。

「アラン様……ご用件は」

 楽譜を家まで頼む。私はチップのアメジストを渡し、背中の荷物を降ろしながらそう言った。

「我が命に代えても」

 ポーターは、カァッ、クァと苦し気に咽びながらそう言うと、小柄な体躯に巻き付けたハーネスに荷物を引っ掛けた。
 猫の言葉が上手くなったじゃないかポーター。気に入った、君は長く使ってやるので、あまり無理はするなよ。

「勿体無いお言葉……アー、クァー!」

 翼を二、三度ばたつかせ、また黒い羽根を何本か落としながら飛び立って行った。私は横目にそれを確かめ、再び威風堂々と公園入口を抜ける。
 さぁ、行くとしよう、この止まらぬ、軽い足取りで。

 私の新たな、音楽と自由のために……―――


瀞昧幹(とろまいみき)
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